NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」で、「青春」という言葉の意味について解説しているのを見て、自分の青春時代をふと振り返ってしまったので、今回は「努力は夢中に勝てない」という言葉について少し書いてみた。

数年前に僕が偶然発見したこの言葉は、どうやら企業が理念として掲げているものらしい。タイムラインのどこかで見たその言葉に、僕は自分の人生を振り返る中で、大きく共感した。

ここ最近、好きな事を仕事にしようとか。社畜から解放されて自由に仕事をしよう!とかいうフレーズが、現代を生きづらいと感じている若者達の刺激となっていることがよくある。その結果、教育の現場を、良い意味で困らせている

「じゃあ、みんなが好き勝手なことをしていいのか」

今の学校で同じ職員室で仕事をしている人ではないが、とある先生に、「これからの時代は終身雇用ではないから、自分が好きなことを仕事にしたら良いと思うし、その為には好きなことに夢中になれば良いんですよ」と話してみた。その先生は、少し起こり気味に、こう話してくれた。

「みんなが好きな事ばかりやっていたら、社会が成り立たないんじゃないの?ある程度はみんなで我慢しないと!それを教えるのが学校でしょ?」

しまったと思った。僕の伝えたかった本質が伝わっておらず、しばらくはこの話題すら話すことを許されなかった。自分の説明力不足を痛感した。

それと当時に、この先生が怒る理由を考えた。この発言をするということは、**「いつも周りに対して我慢をするのは当然だ。だって、みんなそうして生きているんだから。」**と常日頃から考えているに違いない。その先生自身、きっと色んな事を我慢しながら生きているのだろう。経験上、小中学校の先生方に多くみられる考え方だ。

その考え方を否定するつもりはない。その人たちは、好きな事を我慢し、先生の言うことを忠実に守り、先生という存在に憧れ、それになりたいと願い、採用試験を合格した精鋭部隊の一員。これからも学生時代に受けた教育を頼りに、集団行動を教えていくことだろう。

しかし、生徒は高校に入学すると、途端に「自分とは何だろう」や「将来の夢は?」と、いきなり今後の人生を決める選択に迫られる。生徒の中には自分が何をするのが好きなのかもわからず、ただメディアの影響だけを受けて過ごしてきた人もいるかもしれない。

全ての教員がそうではないにしろ、遊びは遊びで勉強は勉強と分けて考えて、みんなが静かに黙って頑張っているからと、あたかも勉強は我慢してやるものだと言わんばかりに教える人は、今でも存在している。その先生の指導では、生徒に夢を持たせることは不可能だ。

先生の考え方を見抜く魔法の言葉「なんで私たちは、この教科を勉強しなければならないんですか?」

教師の想いは**「なんで私たちは、この教科を勉強しなければならないんですか?」**という問いに、どう答えるかによって読み取ることができる。

個人的に一番納得できないのは「やらなければならないから」勉強をするんだという考え方だ。文部科学省が告示している学習指導要領にもそんなことは書いてやしない。

僕自身、教科「情報」が好きで、それで生きているくらい好きで、好きで好きでたまらない。いつもその教科のことばかり考えている。コンピュータに関わっているから当然と言えば当然だ。これからの人生を生きていくためにも必要だと思っている。

だから、こんなにもこの教科を学ぶと、こんなにも楽しい世界があるんだということ、それに夢中になれるということ。それを伝えたくって、この教科の教師になろうと思った。

僕にとっては「人の話は静かに聞きましょう」という言葉は、話をしている人に失礼だとか、同じ話を聞いている他の人に迷惑だとか、そういう考え方だけでねじ伏せるものではない。人が話している時に、自分が静かにしていたら、より効率良く未知の情報を知ることが出来るという捉え方だ。つまり、人から言われた「やらなければならないこと」が、自分の「やりたいこと」に変わることができれば、主体性を持って取り組めるのだ。伝える側も、聞く側が静かな方が、少ない労力で情報を伝えることができる。ただそれだけのことだと思っている。集会で話を聞く。ただ聞くだけの行動に疲れて、眠たくなってしまうのは当然のことだ。なら、じっとしながら話を聞くよりも、話の中で心に残ったフレーズをメモすれば良い。

ルールが存在していることについて、「それがルールだから」とか「社会で生きていくために、みんなが我慢するため」という考え方よりも、そのルールが存在することによって物事の効率が上がるからという方が、個人的には納得できる。

教師を目指したきっかけ

少し長くなるが、僕が教師になりたいと思ったきっかけの話を、幼少期から振り替えたいと思う。

教師を嫌いになり、再び好きになった小学校時代

僕は学校の先生が大嫌いになったことがある。小学2年生の頃、休み時間中に教室で自由帳にボンバーマンの絵を描いていた時、担任の先生に「じゅんくんはなぜ、お外に遊びに行かないの?」と聞かた。あぁ、これに答えるのは面倒くさいなぁと思った僕は「飽きたから」と答えた。すると担任の先生は「ここは秋田県じゃありません、愛知県です」と答えてきた。きっと冗談のつもりだったんだろう。顔が笑っていたのを今でも覚えている。するともう一度「じゅんくんはなぜ、お外に遊びに行かないの?」と聞いてきた。既に答えた内容を変えたら矛盾が出てしまうと思い「飽きたから」と答えた。以下ループだった。このまま無限ループが終わらない恐怖と、絵を描くのを邪魔されたことが嫌で、涙が止まらなかった。

小学4年生に上がったタイミングでその先生が定年退職し、他の学校から新しく先生が転勤してきた。新しく来た先生が僕の担任となり、その1年間は本当に楽しかった。教室に居場所が出来て、好きな事に熱中できて、学校が好きになった。

**同じ学校の先生でも、人によってこんなに差があって、こんなに良い先生もいるんだ。世の中には僕みたいに、先生のことが嫌いになって、学校も嫌いになった子ども達が大勢いるのかもしれない。その子たちに、学校の楽しさを教えたい。**そう思って、学校の先生になろうと考えた。

しかし、小学生や中学生の頃なんて、学校の先生になる方法なんて知らない。愛知県民だから愛教大(愛知教育大学の略称)だけは耳に残ってるから、とりあえずそこに行けばいいのか程度で勉強していた。そのために高校は進学校に入学した。

PCに夢中になった高校時代

高校入試が終わったのと同時に、自分の部屋にパソコンを置いた。それが全ての始まりだった。

今当たり前となって蔓延している動画サイトは存在しなかったから、パソコンそのものをいじったり、Windowsメッセンジャーでひたすらチャットしたり、ゲームのセーブデータ中のパラメータの数字を書き換えて遊んでいる毎日だった。

お陰様で、最大で赤点を4つ取った。3つは合格し、世界史が不合格だったので、教頭先生・教務主任の先生・学年主任の先生・担任の先生・保護者・生徒本人で行う特別保護者会も受けた。当時の担任の先生は学年主任も兼任されていたので、僕を含めて5人での保護者会だった。それでも義務(やらなければならないもの)として捉えていた勉強は好きにはなれなかった。当時はNHK番組「その時歴史が動いた」が好きだったけど、日本史は赤点だった。

結局大学受験には失敗して、愛教大は合格しなかったから、コンピュータばかりいじってきた僕が教えられる教科が「情報」しかなかったから、高校一種情報の免許が取得できる大学ならどこでも良かった。

やるべきことと、やりたいことが重なった大学時代

教員免許を取得するためには、情報系の科目以外にも教育学系や心理学系の単位を取得しなければならなかった。ただ、やりたくない勉強を仕方なくやったのではなくて、楽しく学べた。新しい知識を知るのが楽しくて、「へぇ〜!」と思えることを知り、ノートに書くのが好きだった。我慢をしているなんていう感覚はなかった。試験やレポートなど、やる気が起きないものは、「このボス(レポート課題のこと)、どうやって攻略してやろうか」と、ゲームに例えたり、自分をドラマの主人公に見立てて、困難に立ち向かう姿として想像した。自然とやる気が出た。自分の人生に必要なことに夢中になる。「自分は努力している」とか、「自分は頑張っている」とか、そういう感覚にはならなかった。「やらなければならないこと」を自分が自ら「やりたいこと」にする。もしくはそう捉える。それだけでも感覚は全然違った。

おわりに

自分みたいな人間が、教師をしていると、周りの先生方との考え方の違いを折に触れて思い知らされる。集団行動に生き、集団行動のために指導している先生方に協力はするが、同じ考えになることはできなかった。

ただ僕の考え方が、集団に馴染むことが苦手な生徒の心に響き、他の先生方の言うことを守っているように見せながら、思考を熟成するきっかけになったら良いと思う。

僕はやらなければならないことを、やりたいこととして処理し、今こうして暮らしている。やらなければならないことを努力したとは微塵も感じていない。僕はただ、やりたいことに夢中になっただけだ。