「空気」を読んだとしても、従わないという選択肢がある

一目惚れで買いました。『「空気」を読んでも従わない』という題名です。なんとまぁパワーワードなタイトルだこと。こんな本を職員室の机に置いているのが見られたりでもしたら、きっと協調性のカケラもない人だって思われるでしょうね。

でも、そんな先入観を良い意味で裏切ってくれた内容でした。ただ「協調性をなくして、自分だけが得をしましょう」みたいな本ではありませんでした。

日本人の心に根付いている「空気」という考え方について考察し、その上でどう行動すべきかを説いた本でした。

「世間」と「社会」

まず、この本では、日本人の生活から成り立っている「世間」という集合と、そこよりも外側にある日本の「社会」という集合について触れられていました。

日本人が古くから親しんできた「世間」

ここで言う世間とは、自分が所属しているもの。「みんながお前の悪口を言っているぞ」と言われて嫌な気分になる人間関係の範囲のことを言います。お互いに気を使いながら生活をしています。ご近所さんとの付き合いなどが世間です。今でも世間体という言葉がある通り、その人たちから嫌われないように気を配る生活をしているところが多くあります。

日本は古来から、世間という集合体で生きてきました。人々は村社会で生活してきました。それが明治維新がきっかけとなって、国家で動いていくようになりました。このタイミングで、これまで「世間」で生きてきた環境から、一気に「社会」へと広がりました。

「世間」の外側にある「社会」

社会とは、世間の範囲を超えた人たちがいる世界のことを指しています。

わかりやすく表現すると、知らない人たちが集合する場所です。電車やバスの中や、エレベーターの中などです。

日本人は、昔から世間という範囲で生活してきて、社会という単位では生きてきませんでした。というのがこの本での見解です。その証明となるエピソードとして、「スタジアムでゴミを片付けることで賞賛された日本人が、道端にいる知らない人のことは助けない。」という話がありました。世間の範囲内の人間関係の人には親切にするのに、それを超えた範囲の人には日本人は冷たいんです。僕はどこか納得してしまいました。

「空気」とは何か

日本の生活に馴染んでいる「世間」には、その集団の和を乱さないようにして気を配るという習慣があります。それが「空気を読む」というものです。空気、雰囲気、流れ、ノリ。世間の和を乱さないための行動が「空気を読む」という行動なんです。

国という言葉が日本の限定的な範囲の意味で使われてきたことから分かる通り、日本人の生活にはまだまだ「世間」で生きていくというかんがえかたが根強く残っています。

この本では、実際にどのようなルールが「空気」として存在しているのかを明確にしていました。

「世間」のルール

日本人が普段生活している「世間」という集合体には5つのルールが存在している。とこの本では説明していました。こちらです。

世間のルール

  • 「年上」が偉い
  • 「同じ時間を生きる」ことが大切
  • 贈り物が大切
  • 仲間外れを作る
  • ミステリアス(独自の謎ルール)

未だに残っている年功序列や、飲み会参加への強要、集団が安定するための仲間はずれなど、思い当たるものばかりです。なるほど。言語化するとこうなるのですね。

生きづらさの解決策は「世間」か「社会」かを明確にすること

例えば、「早く帰りたいのに上司が残っている」という状況や、「自分の担当ではない仕事を頼まれた」という状況において、どのように対処したら良いのかということにも触れられていました。

そのポイントが、その範囲が「世間」なのか「社会」なのかということ。世間の範囲であれば、親切にすればいつか自分にも返ってくるはず。しかし余裕がなくてしんどい時に「世間」の外から頼まれごとや厳しい要求が降ってきて、それを「世間」と同じように対応すると、キャパを超えてしまうということになりかねません。

日本人は、この「世間」と「社会」をうまく判別して対応しましょう。という話でした。それと、海外では「世間」という概念が存在しないらしく、「社会」でうまく生きていけるのだという説明もありました。

「世間」で育った教師は「社会」を知らない

ここからは僕がこの本を読みながら考えたことです。

学校の先生という職業の人は、この本で言う「社会」を知りません。大学4年生の頃に教員採用試験に合格して新卒から教師となる人は、学校という環境でしか生活したことがないのです。その先生は、自分が過去に受けてきた教育を見本として、受け持つ生徒に指導するようになります。「普通に考えてこの校則おかしいよな」という内容に疑問を持つこともありません。何故ならそれがルールだからです。全ての人に言えることかもしれませんが、日本人は自分が過去に所属していた「世間」のことしか知りません。それ以外のことは「社会」のことで、うちの「世間」には通用しないとも考えているのです。

Youtuberを否定する教師達

僕はブログやTwitterを通して、教師という職業だけでは決して知り合うことのない人たちとも出会ってきました。これまで自分が所属していた「世間」の外で構築できた人間関係です。言うほど自慢できるものでもありませんが、僕にとっては大切な存在です。

最近、Youtuberになりたいという生徒が増えてきました。よくネットの記事に出てくる「なりたい職業ランキング」にYoutuberが登場したことが度々話題となりますが、僕が接している生徒にも何人かYoutuberやインフルエンサーになりたいと宣言する子が出てきました。

高校1年生になると、2学期から多くの高校で文理選択が始まります。自分の特性が理系なのか文系なのかを考えて、どちらかを選択します。そんな時に実施した面談で「先生、Youtuberは理系ですか?文系ですか?」と聞かれたことがありました。思わず笑ってしまいました。その生徒はふざけた様子もなく、本当に真面目にYouTuberを進路先として考えていたのです。

僕はその生徒に対して、「自分がどの教科を学んでいて楽しかったかで決めていい。Youtuberになりたいなら、今すぐ動画をアップするんだ。スマホでできるだろ。三脚がないなら100均で買ってこい。」と伝えました。Youtuberやインフルエンサーなどといったものは、なりたくてなるものではないというのが僕の考えです。自分が動画を配信していて、気がついたらインフルエンサーと呼ばれるような存在になった。その存在になること自体が目的ではダメで、あくまで結果だと思うのです。

しかし、この指導を他の先生が見ていて「じゅん先生、いくらなんでもそれはちょっと・・・」と言われました。高校生が進路を選択する上での選択肢は、大学短大への進学・専門学校・就職・例外として家業を継ぐくらいしかこれまでは存在しなかったのです。

僕はむしろ、やりたいと思った今がチャレンジする時だ!今日にでも動画を撮って、夜までにアップしろ!とも思ったのですが、Youtubeに顔を出すデメリットばかりを生徒に解く先生の方が圧倒的に多数派でした。

教師は「世間」より外のことを知りません。それでも進路指導する時には生徒の夢と一つ一つ向き合わなければなりません。自分が知らない大学、知らない学校や職業について聞かれても、ある程度予習してかないと答えられません。よく知らな先生ほど「その職業は大変だぞぉ?狭き門だよ?」と発言する傾向があります。「大変だよ」という言葉は本当に便利で、自分でも想像がつかないことについてはとにかく大変大変と言っておけば重大さだけは伝わるもんだとでも思っているのでしょうか。

「社会に出たら」

生徒指導の面では、「社会に出たらな、そんな言い訳通用しないぞ!」というような言葉をよく耳にします。学校とは児童生徒が社会に出る前に様々なことを学ぶ教育機関で、社会に出ても通用するような人材育成というものを生業としているところです。

社会というものがどんなものかも知らなない人が、よく言えたものです。

ただ、今回の本を読んで、こうも思いました。学校が指導しているのは、この本で言う「社会」に出ることを想定しているのではなく、子供達が卒業後に所属する新たな「世間」に加わる時に必要な「空気の読み方」なのではないか。

例えば、「街中で制服を着崩した状態で歩くと学校の印象が下がり、高校3年生の就職活動にも影響が出てしまう可能性がある。」という理由で、服装を正しなさいと指導したとしましょう。これは、学校という「世間」の印象が悪く見られないために守る掟だと解釈できます。制服を着るのにオシャレは不要だ、化粧なんて以ての外だと言っておきながら、就職した途端にナチュラルメイクが必須となる矛盾の答えもここにあります。「世間」という集合体そのものを指す「世間体」という言葉、この「世間体」を守ることが、学校では校則を守って集団生活を送ることになるわけです。本の言葉で言うなら、ミステリアスな校則なんて、星の数ほど残っています。

教師は「社会知らず」だ

『「空気」を読んでも従わない』を読んで、教師という職業を改めて見てみると、「世間」での生き方を教えてしまっているのではないかと思うところがあります。その地域に暮らしている子供を40人の集団で生活させ、運動会や遠足などを通して団結力を深めさせます。修学旅行なども良い例です。あれだけの人数で旅行するなら一人ひとりが時間や場所に縛られながら行動します。部活動もチームという「世間」を形成し、その和を乱さないように努めます。実力ではなく先輩後輩という上下関係をここで学びます。

学校生活という「世間」で、空気を読むという行動を教えているのです。それは、自らが「社会」に出た経験がないことが大きく関わっているのではないか。と僕は思うのです。

子ども達は手のひらでインターネットを使いこなし、これからも社会とどんどん繋がります。学校という「世間」に馴染めない人にはそれが唯一の人との繋がりとなります。SNSは危ない、Youtubeは危ないという通り一遍の指導では、最早子ども達も蔑むことでしょう。

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この記事を書いた人

jun3010me

jun3010me

スクールプランニングノートの公式アンバサダーと公式手帳達人に選ばれた現役教師。
Happy Hacking Keyboard 公式エバンジェリスト。
好きなものは珈琲とガジェット、特にApple製品。HHKB BT、HHKB Pro2 Type-S 無刻印、HHKB Pro2 無刻印白、カメラはα7m2とRX100M5A、万年筆はPelican スーベレーン M400を愛用中。それと勇者王ガオガイガーが大好き。

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