こんにちは、ジュン@jun3010meです。
今回、GWを利用して、愛知県からわざわざ国立歴史民俗博物館まで足を運び、2016年5月8日まで開催されていた企画展示の「万年筆の生活誌」を見てきました。
まぁこの企画展示は賛否が分かれるものだったんですが、自分にとっては、結構感動的なものだったんですよ。
万年筆の生活誌
国立歴史民俗博物館へのリンクはこちらです。
万年筆の生活誌-筆記の近代-|プレスリリース|歴博の活動|国立歴史民俗博物館
もう展示が終わってしまったので、過去のプレスリリースです。
ニューヨークで保険外交員をしていたウォーターマンという男が、大口の契約書を鋼鉄ペンで汚してしまったのがきっかけで発明された「万年筆」。それが日本に伝わってきたのは鎖国が終わって文明開化が進んだ明治でした。それ以降、日本は万年筆を輸入しながら日本メーカーでの独自開発が進み、遂には万年筆を輸出する側になることができた。
この展示は、明治から昭和にかけての、日本における万年筆の発展の歩みが見てとれるものでした。
賛否が分かれる理由
個人的には「愛知県からわざわざ駆けつけた」っていうバイアスがかかっていたり、万年筆にそこまで詳しくなかったこともあって感動したんですが、
展示に使われた万年筆が個人蔵のものが多かったのか、年代が詳しく記載されていないものであったりしました。あとはメーカーの協力を得ることで、もっと詳しい内容にも出来たんじゃないかという声もありました。
愛知県から国立民俗歴史博物館まで
ぶっちゃけ、今回は物事をあまり深く考えず、「東京の博物館で万年筆についての展示がやるんだ!丁度GWだし見に行こうかな!」くらいのことしか考えていませんでした。
でも実際に調べたら場所は千葉県の佐倉市。それでも現実に行としたらどれくらいかかるかなんて、実際に体験してみないと実感が湧かなかったんです。
まさか、東京駅から2時間弱もかかるなんて、調べている時は認識していませんでしたよ。(;゜ロ゜)
新幹線の往復と東京から現地までの往復の交通費、これだけでも正直、良さげな万年筆が買える額です。
感想
それでもね、交通費がかなり痛くてもね、自分には見る意味、見る価値があったんですよ。
日本の万年筆の歴史を知ることで、職人さんたちの写真から想いが伝わってくる。万年筆を所有することの意味、書いて字を残すことの意義を、改めて考えさせられました。
今でこそEvernoteに残すだの、WorkFlowyで思考するだの言っているブロガーさんがちらほらいますけど、明治の日本に万年筆が伝わってからというもの、就学祝いで万年筆を贈る文化があったりするほど、日本では大人になったら万年筆を持つという文化が実際にあって、机にインク瓶を置く生活が日常だったことがわかったんですよ。
ボールペンがここまで発達して、最近では万年筆が廃れてきたらしいんですけど、パイロットのカクノを始め、再びこの業界が盛り上がってきたのも事実。
元々は海外で発明された万年筆、だけど日本人とこれほど相性の良い筆記具はないなと、僕は思うんです。これほど素晴らしい筆記具があるのかと。今回の企画展示で職人さんたちの姿を写真で見て、文房具屋の広告や旗なんかを見て、当時の日本の生活に本当によく溶け込んでいたんだなと実感できました。何度も感動させられました。
エピローグの言葉は、本当に泣きそうになりました。
購入したもの
さて、上に書いたほどの感銘を受けた自分が、何も無しで愛知県に帰るなんてことは絶対にしません。
(`・ω・´)
今回は、博物館内で購入したものを少し紹介します。
まずは、上記写真に写っている「図録」です。
今回の企画展示の内容が図録になっているものが2000円で売られていたので買いました。
むしろ、この図録を取り寄せるだけでよかったんじゃ・・・?
という言葉を何度か聞きました。もう、良いんです。実際に見て感動したんだから
(´;ω;`)
それと、何気に買って良かったのが、手ぬぐいです。
まずこれですよ。半分に折った写真なんですけど、A3からL判までのサイズが書いてあるんです。これこれ。JISで定められているこのサイズ表みたいなのが手ぬぐいになっている。こういうの好きなんですよね。
(*´∀`)
本当は原稿用紙やら便せんやらも売られていたんですが、自分が万年筆で原稿用紙や便せんに向かうことがこれまでなかったので、買うのをやめました。
できたら、次は愛知県でこういう展示をしてくれー!
千葉まで片道4時間かかったぞー!
(´;ω;`)
と切実に思うジュンでした。
最近結構万年筆が大好きになったので、万年筆談義してくれる方を募集してます。
(`・ω・´)