来たるSociety5.0に備えた新学習指導要領、そしてそれに向けたプロジェクト「GIGAスクール構想」。ICTで学びを最適化し、時代の変化に対応していくための「生きる力」を養うという、まさに時代の転換期を迎えているといいっても過言ではない状況になりました。
詳しくはこちらの記事にまとめてあります。
しかし、新しい時代の幕開けとなろうかと思われた一方で、全く進まないICT活用。
あの、一応ね?プラスに捉えようとしたんですよ?これでも。そうしたら全然皮肉っぽくなっちゃったんですよ。4人って何ですか4人て。
ちなみにロイロノートスクールのオンラインセミナーを学校で申し込んで、会議室にZoom端末とロイロノート試用端末とをそれぞれプロジェクターに接続して臨んだ結果、参加者は2人でしたよ。
そのお二人は「これが新しい教育かー」という感じに感動してくださったんですけど、それにしても他の先生方の授業形態を根本から変える気がなさすぎる。
そういう現実を目の当たりにしたこともあって、ちょっとここ数週間はブルーな気分が続いていました。
そこで、ふと思ったんですよ。
戦後最初の学習指導要領に、何か良いことが書いてあるんじゃないか
ってね。
第二次世界大戦で、大日本帝国は戦争のための教育をしていきました。これは至る所に資料が残っていることです。例えばWikipediaの竹槍のページには訓練の様子の写真が残っていたりします。学校での訓練の写真ではなく、義勇兵として招集された人たちが写っていますが、彼ら彼女らは男は15歳、女は17歳から招集の対象でした。
それと、「ヘイタイサン ススメ ススメ」は有名な言葉ですね。
こちらの綺麗な画像は、他のサイトより拝借してきました。
さて、戦争が終わり、「大日本帝国」から「日本国」に名前を変え、日本国憲法が施行された昭和22年。この年に、戦後初めての学習指導要領が(試案)という形で出てきます。
これまで「お国のために死ぬ」ことが良いこととされてきた日本が、GHQの元で新しい教育をする。それまでの教育が良かったのか悪かったのかは別として、考え方ががらった変わったポイントだと僕は考えました。
その頃の学習指導要領に、これからは新しい考え方で教育をやっていくんだという想いが綴られているのではないかと期待したわけです。
結論から言います。大当たりでした。もう大号泣ものでした。職員室では何とか耐えましたが、車の中では耐えられませんでした。
心が動かされたこのタイミングだからこそ、この話を皆さんに広めたい。そう思ってHHKBをとった次第です。
学習指導要領 一般編(試案)昭和二十二年度 {#vk-htags-acf14688-8158-4ee9-bf50-37d72056af65.wp-block-heading}
↑こちらのURLに全文載っています。まずは全ての文章を読みたい!という方は、そちらへどうぞ。
ここでは、僕が感動したポイントだけ、引用という形で紹介します。
まず序論です。
いまわが国の教育はこれまでとちがった方向にむかって進んでいる。この方向がどんな方向をとり,どんなふうのあらわれを見せているかということは,もはやだれの胸にもそれと感ぜられていることと思う。このようなあらわれのうちでいちばんたいせつだと思われることは,これまでとかく上の方からきめて与えられたことを,どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きのあったのが,こんどはむしろ下の方からみんなの力で,いろいろと,作りあげて行くようになって来たということである。
まさしくド直球でした。今から73年前に書かれた、これからの教育についての文章ですよこれ。僕はもう、今年の文章じゃないかと勘違いするほど感動しました。というか未だに画一的な傾きが残ってるんじゃないの?と思うほどです。
特に、「こんどはむしろ下の方からみんなの力で、いろいろと、作り上げて行くようになって来た」の部分です。トップダウンで、上から言われた通りにやるんじゃなくて、良いものをみんなで協力してボトムアップで作っていきましょうって言ってんですよ。
これまでの教育では,その内容を中央できめると,それをどんなところでも,どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって,教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。このようなことは,教育の実際にいろいろな不合理をもたらし,教育の生気をそぐようなことになった。
しかもそのようなやり方は,教育の現場で指導にあたる教師の立場を,機械的なものにしてしまって,自分の創意や工夫の力を失わせ,ために教育に生き生きした動きを少なくするようなことになり,時には教師の考えを,あてがわれたことを型どおりにおしえておけばよい,といった気持におとしいれ,ほんとうに生きた指導をしようとする心持を失わせるようなこともあったのである。
この言葉の間には、例として都会の子どもと田舎の子どもの地域差から、住んでいる郷土や文化が違うのに、同じ教育をしていいのかという想いの投げかけがありました。
けどこれ、現代に当てはめると、教育のゴールが受験対策で良いのかという問いと重なるのではないでしょうか。
志望する大学に入学するための受験で合格することがゴールとなるならば、入試での点数を如何に上げるかがポイントになってきます。学習塾や予備校なんかが良い例で、徹底的にテクニックを叩き込みます。
そこには、「学ぶことの楽しさ」という観点は存在するのでしょうか。
大学入学共通テストで良い点を取ることを目標とするならば、そりゃ動画コンテンツで要点を押さえた方がよっぽど効率的でしょう。
しかし、それだけでは教師はただのロボットとなり、不要なわけです。
戦時中の教育を反省し問題提起していながら、僕はこれを読むとむしろ現代の教育にも戦時中と共通することが起こってしまっているのではないかと思ったのでした。
型のとおりにやるのなら教師は機械にすぎない。そのために熱意が失われがちになるのは当然といわなければならない。これからの教育が,ほんとうに民主的な国民を育てあげて行こうとするならば,まずこのような点から改められなくてはなるまい。
これまでの教育が、日本のために忠実に命令を実行するロボット兵隊となる戦士を育てるためにあるのならば、教師もまたロボットである。当時の方から見て、今、ここにある通りの「ほんとうに民主的な国民」の育成ができているでしょうか。
このために,直接に児童に接してその育成の任に当たる教師は,よくそれぞれの地域の社会の特性を見てとり,児童を知って,たえず教育の内容についても,方法についても工夫をこらして,これを適切なものにして,教育の目的を達するように努めなくてはなるまい。
我々教員は、教える内容を常に試行錯誤を繰り返し、工夫していくことが求められます。「これでいいんだ」と思ってしまえば、向上心も途絶えます。特に現場の教員が目の前の子どもたちに与える影響は大きい。教師という職は、常に向上心を持って仕事をすることが求められるわけです。
(試案)であることが、美しい
これまでの教育から、新しい時代に対応するための教育に変わらなければならないんだ。
そのために我々教師は、日々生徒と向き合い、社会から求められる人材を育成するんだ。そんな熱いメッセージが込められた戦後最初に学習指導要領。
僕はね、これが(試案)であることに、まず感動したんですよ。この完成度の高さで未完で終わらせることで、今後も価値観や考え方が変化する前提で書かれたわけです。
考え方は、価値観は、時代とともに変わってく。新しい考え方が出てきた時に、謙虚な心でそれを受け入れて、考え方をアップデートしていく。
そんな能力が、現場の教員には求められているのではないでしょうか。
最後に、もういっちょ引用して、終わります。
いまこの祖国の新しい出発に際して教育の負っている責任の重大であることは,いやしくも,教育者たるものの,だれもが痛感しているところである。われわれは児童を愛し,社会を愛し,国を愛し,そしてりっぱな国民をそだてあげて,世界の文化の発展につくそうとする望みを胸において,あらんかぎりの努力をささげなくてはならない。
ううぅ、あ”あ”あ”、もう、だめ。読んでて涙止まらない。この文章を書いた人は、未来の日本のことを、これからの教育を受ける子どもたちのことを、本気で考えていた。それが痛いほど伝わってきた。
それと、自分が教師になろうとした原点みたいなものを心の底から掘り起こした感覚があります。
自分て、教育バカだなぁ。