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こんにちは、たまに教育の未来を考える。ジュン@jun3010meです。

先日、ISIS(イスラム国)が公開した、日本人を殺害した後の写真を、授業にて生徒に紹介した教員が話題となっていましたね。

今回は、この件から、教材として何を使用し、
教師として、生徒に何を伝えていくのかを、
考えていきたいと思います。

写真を使用したとされる3件の事例

まずは、今回話題となった3つの事例について紹介します。

1つ目が名古屋市です。

名古屋の小5授業で遺体画像 日本人人質事件、修整もせず:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

小学校で、20代の女性教員が、高学年の社会の時間に見せたという内容でした。

そして2つ目が三重県。

三重でも生徒に遺体画像見せる 教育委は事実伏せる

こちらは5中学校で、0代の男性教師が、社会の時間に見せたとされる内容でした。

そして最後に栃木県の事例です。

www.fnn-news.com: 教師が「イスラム国」…

文字では年齢は書いてありませんが、中学校での事例です。
教科はニュース内容をチェックした限りでは、
書いてなかった気がする。

授業で何を教えるのか

学校では授業が行われています。

多くの教科があります。
1つの教科の中で、学年や分野で更に細かく分かれています。

その中で教えていくことの根本が、
学習指導要領に明記されています。

生きる力

文部科学省では、現行学習指導要領で
「生きる力」を育むということを重視しています。

現在の学習指導要領は、子どもたちの現状をふまえ、「生きる力」を育むという理念のもと、知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの育成を重視しています。  これからの教育は、「ゆとり」でも、「詰め込み」でもありません。  次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。そのような思いで、現在の学習指導要領を定めました。  「生きる力」を育むためには、学校だけではなく、ご家庭や地域など社会全体で子どもたちの教育に取り組むことが大切です。  子どもたちの未来のために。

現行学習指導要領・生きる力:文部科学省

従来のゆとり教育でもなく、それ以前の詰め込み型の教育でもなく。
これからの社会で生きる為の力を育成することが、
国の使命であり、教員の仕事です。

受験ベースという現状

高校生が乗り越える壁として、大学受験があります。
中学生が乗り越える壁として、高校受験があります。

この受験という壁を乗り越える為の学習があり、
それを受験勉強、受験対策と呼びます。

入学試験に出題される問題に解答する為の勉強です。
希望の高校や大学に入学する為には、そういった勉強が必要です。

大学3年生からは、今度は就職する為の活動が待っているわけで。
大多数の人は、同じような道を辿っています。

中学3年生の高校入試に備えて勉強し、
高校3年生の大学入試に備えて勉強し、
大学3年生の就職活動に向けて勉強します。

でもそれって、入試はクリアするかもしれないけど、
入試にクリアすること=生きる力が育まれることなんですかね?

これは入試そのものが「生きる力」が備わっているかどうかを
確かめるものとなっているか。という疑問と、

受験を前提とした授業が存在するとしたら、それは「生きる力」を育む内容となっているか。という疑問にも繋がると思います。

勉強=暗記なのか

超整理手帳の生みの親、野口悠紀雄さんが書かれた『超勉強法』という本では、
中学生までの英語の勉強方法は、教科書の暗記がベストとされていました。

定期テストで出される文法や単語の確認、長文読解などの力は、
確かに教科書の文章を完全に丸暗記すれば、クリアできます。

数学にも言えることで、
公式を覚えて、多くの問題のパターンを知っておくことで、
トップの順位が狙えます。

多くのテストは、そのことを覚えているかという問で構成されていて、
暗記が得意な生徒ほど高得点が取れる内容となっています。

僕が感じている限りでは、
大学受験までは、
その教科についてどれ程の知識を有し、
入試当日にそれをはき出すことが出来たかで、
その人の学力が試されています。

学習到達度調査(PISA)の日本の順位

PISAと呼ばれる学習到達度調査があります。
OECD(経済協力開発機構)が進めているもので、
数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーの能力を点数化しています。

2012年の結果による平均点の日本の順位では、
非OECD加盟国も含めた中で、
数学的リテラシーが7位、
読解力が4位、
科学的リテラシーが4位でした。

これは高いんでしょうか。低いんでしょうか。

ちなにに、コンピュータ使用型調査での
デジタル数学的リテラシーは6位、
デジタル読解力は4位でした。

どちらも韓国に負けているんですよね。

この結果を高いと見るか、低いと見るかで、
今後の教育をどうしていくかの方向性が決まりますね。

僕は個人的には、この結果には全く満足していません。

方向性も教材も決まっている

今の教育のあり方というか、
授業で何を教えるべきかという話では、
実はもう答えは出ているんですよ。

学習指導要領も決まっていて、
教科書や副教材もある。

更に、受験で良い点数をとらなければならない。

となると、教えることは教科書に書いてある内容で、
目標は受験。みたいな流れが自然と出来上がります。

生徒が大学受験で合格することを目標としているならば、
受験に関連する教科での、受験に関する勉強を自然と頑張ります。

社会からはみ出ない為に一生懸命に語句を覚えます。
逆に言うと、受験に関係ない教科などは、
そこまでシビアに考えない生徒が多くいる現状があります。

改めて今回の事例を考える

さて、ISISの写真を授業で使用した話に戻しましょう。

上に書いた内容から言うならば、
ISISの写真などは、学習指導要領などには書かれていません。
教科書にも載っていません。

言ってしまえば、受験に関係ない内容かもしれません。

しかし、得られる情報は多くあり、
学びに繋がることももちろんあります。
世界平和について改めて考えるきっかけにもなるかもしれませんね。

一つ言えるのは、ISISの画像を授業で使用したという事実のみが問題視されていること。
テレビ放送でさえモザイク処理後の画像を使用したものの、
元となる物を思春期の子ども達に見せたことが問題となっています。

つまり、生徒の心に悪い影響を与える画像を見せたことが問題なのであって、
平和について考えることを授業で取り上げること自体は正しいことと言えるんです。

メディア素材はネットでいくらでも手に入る

今の時代、教師が授業で見せなくとも、
インターネットを通して、子ども達の手のひらにあるスマホを通して、
話題となった画像はいくらでも探せます。

授業で見ていない生徒の中には、
きっとネットで元の画像を自分の意思で見た子もいるでしょう。

その行動の原動力は、知的好奇心です。
ネットはふと思い浮かんだ知的好奇心を
検索によって手軽に満たしてくれます。

これを止めることは難しいでしょうね。

授業と現実の差

そこで考えられるのが、
授業で教えている内容や受験で覚える事柄と、
実際に今、世界で起こっている問題との差です。

事の真偽は別問題として、教材以外の場所で
情報が爆発しています。

現代人はその情報の処理に追われています。
教育を受ける子どもたちは、
その社会に未成年として制限がある中で参加しています。

その中で、教科書の内容と、実際の社会で生活する時に必要な知識とで、
差が生まれていることがあります。

教科書の内容に具体例がなく、抽象的な表現で終わっていることもあります。
そういった事を説明する教師は、その事柄を説明することに、
様々な工夫を強いられています。

具体例を出したり、たとえ話をしたり、
自身の体験談を話したりします。

ISISの画像は、その中での1つのツールだったのでしょう。
「グロ画像を授業で使用するのは問題だろ!」の
一言で済ませることは、非情に残念で、それこそが問題であると
僕は感じています。

確かに避けるべき行動だったとは感じますが、
授業を行う中で、何を題材として、
何を話、生徒に何を伝えていくのか。

生徒の心に悪い影響を与える可能性が高いとされる画像を見せることは確かに問題ですが、
ただ与えられた教材の内容だけを話す授業は、
知的生産において、スループットのかけらも無い
内容のない授業となるでしょう。

より生徒に、世界で今起こっている事実を伝えたいという思いが、
今回の事を起こさせたのでしょうね。

長くなったのでまとめます

今回考えていく中で、僕が一番言いたいこと、
それは、「単に問題画像を見せた!悪い!だめ絶対!」
という「それはあかんでしょ!」の一言で終わらせるのではなく、

その行動に至った背景や事情を踏まえ、
その上で、教材のあり方、授業のあり方を考え、
生徒に何を伝えていくのかを常に考察していくこと。
それこそが、今回の問題における課題なのではないか。
ということなんです。

生徒はスマホから情報収集をし、
様々な情報は手のひらから得る時代となった今だからこそ、
授業のあり方、教育の意味を、
考えていかなければなりませんね。