昨年から、再びブログに力を入れる時間ができた。時間が確保できるようになった理由の中で大きな存在が、主顧問から副顧問に変わったことだった。非常勤講師時代を除くと、教員生活の中でのほぼ全ての土日は部活動が占めていた。

現在担当している部活の主顧問の先生には、大変感謝している。どうやら僕は、グラウンドで生徒と一緒になって走るよりも、こうして文章を書いている方が性に合っている気がしているからだ。頭の中にあるひらめきや文章を、こうしてアウトプットできることは自分にとっては快感だ。

今回は、副顧問になることで部活動のメインから解放された時間を使って、主顧問で頑張っておられる先生には感謝をしつつ、部活動の思い出話を記していく。

常勤講師時代:バスケ部主顧問

最初に主顧問として担当したのは、バスケットボール部(以下バスケ部)だった。当時はまだ講師だった。顧問のなり手がいなくて、教頭先生からは「ただ見とるだけでええで」「試合も、一緒になって応援するだけでええで」と言われて引き受けた。その言葉が、とにかく顧問になってもらうためだけの言葉だということに気づいたのは、任命されてから2日後のことだった。

バスケ部顧問のなり手がいない問題

その学校ではバスケを専門としている人が長年おらず、バスケットボールに関する知識がゼロの先生が顧問をやらされていた。教員に限らずだが、日本人の多くが中高生時代に部活動を経験している。どの教員がどの部活動顧問になるかは、学生時代に所属していた部活動による事が大きい。自分が過去に経験したスポーツの部活動顧問になる方が、未経験の種目よりも自身の経験が生かせるからだ。

僕は学生時代にスポーツを楽しんだことがなく、運動したのはせいぜい体育の授業だけだったので、運動部はどれも苦手だった。しかし、任意とはいえ他の先生方が誰もやりたがらない部活動顧問は、今も昔も若手にお鉢が回ってくるものだ。今回の話も、他の先生方が断った結果、僕に声がかかったに違いない。新卒でいきなり講師になり、研修もなければ指導教員もつかず、右も左もわからないまま引き継ぎのためのファイルだけがドサドサと机に積まれていった。

他の顧問と比較される毎日

生徒からは、「前の顧問の先生は毎週のように練習試合を組んでくれた」と言われた。僕が赴任する前に顧問をやっていた人も講師だった。契約が切れ、他校の講師を引き受けたため、僕がその人の枠に入った感じだった。生徒の要望通り、土日には入れられるだけ練習試合を入れた。僕自身はバスケの経験がなかったので、試合を通して学んでもらうしかなかった。

練習試合を組むときは、相手校に電話をかけることになっている。個人的な繋がりがあればケータイでも良いが、学校の電話番号は調べたらわかるので、そこにかける。強いチームの顧問の先生は、授業後の時間は全て体育館にいるため電話は繋がらない。狙い目はお昼の時間帯だった。学校毎にお昼の時間に多少差はあっても、13時頃は大抵休み時間なので、その時間帯を狙って県大会出場経験のあるバスケ部の高校に片っ端から電話をかけた。結果的に練習試合を組むことはできたが、ゆっくり昼食を取ることは、あまりできなかった。

それでもバスケ部顧問の生活は楽しかったし、やり甲斐はあった。生徒は授業と違って本気で頑張っていたから、授業では決して見ることの出来ない姿に感動することが多々あった。僕もレイアップシュートの練習をしたり、ドリブル練習をしたりと、ちょっとバスケをかじったりもした。僕が初心者なりに頑張っていたのを生徒もわかってくれたのか、バスケ部員がいるクラスの授業は、部員達は静かだった。他の先生の授業では騒がしいこともあったらしいが、僕の授業では割と大人しかった。バスケ部やサッカー部に所属している生徒は、クラスの中でも活発な分類に入る子たちだったから、その部員らが静かだと、周りの生徒も同調されて落ち着いた雰囲気になった。

バスケ部の顧問の生活が3年目を終えようとしていた頃、校長室に呼ばれ、来年度の講師の契約がないことを告げられた。

こうして文章にしてみると、かなりネガティブな内容になってしまうが、最後に見ていたチームが僕が去った後に県大会に出場する際は応援にも駆けつけたし、県大会出場を決定する準々決勝のビデオは、今でもたまに見る。本当に感動的な試合だった。僕が学校を去る際、部員らが胴上げをしてくれたことは一生忘れない。

その後の3年間は、非常勤講師として別の高校で勤務することになったので、部活動顧問はせず、授業のみの勤務となった。他教科の教員免許取得のために大学の科目履修生になったのと、夜は塾講師として働くようになったので、忙しさはあまり変わらなかった。このブログをもっと頑張って更新しようと頑張り始めたのもこの頃で、ブログのサーバを自宅サーバからさくらのレンタルサーバに移したのもこの頃だった。ブログのオフ会などにも参加する余裕ができたのは、非常勤講師になったおかげだった。常勤講師から非常勤講師に変わったことで驚くほど収入が減り、お金の使い方にも気をつけようと思ったのもこの頃からだった。

採用後はサッカー部の顧問に

縁あって、今の学園グループの高等部に採用が決まった時、部活動顧問の希望を聞かれた。指導経験のあるバスケ部を希望したが、その時の主任から言われたのは、サッカー部の主顧問だった。

「バスケ部を講師時代にゼロから始めて、何も分からない中で頑張ってやってこれた。バスケ部を希望したい。」と伝えたが、その主任からは「その未経験ながらも頑張ってこれらた手腕を、うちのサッカー部で発揮してください。」と言われた。怒りが湧いた。また僕は、部活動顧問不足問題の事例の1つとなるのか。これからも学校という職場では、スポーツ未経験であっても、チャレンジ精神とやり甲斐搾取によって若手教員に運動部が割り振られるのだろう。こうして僕はサッカー部の主顧問となった。

余談:試合に負けて欲しい時もある

こんな書き方をすると、嫌な思いを読み手がするかもしれないが、大会や試合の多くはトーナメント戦だ。つまり、負けたらそこで終わるのだ。土日2日間とも大会の日程が組まれていると、土曜日の試合で負けたら、日曜日は休みとなる。生徒達には本当に申し訳ないことだが、自分が自らやりたいと願って部活動顧問をやっている先生方はさておき、半分騙された状態でしぶしぶ顧問をやっていると、「ここで負けてくれたら、残念だけど、明日はゆっくりと休める」という言葉が、一瞬脳裏を過ることがあるのだ。特に月曜日の授業の準備が一切できていない時ほどそう思っていた。ベテラン教員なら何年も積み重ねてできた教材研究がある。しかし、学校を変わる度に新しい科目を持たされ、未経験の部活も担当させられると、休日に授業の準備をしないと追いつかなかった。

話をサッカー部に戻そう。

リーグ戦終了直後に始まる練習試合

サッカーはバスケと違ってリーグ戦というものがある。リーグ戦は参加校総当たりで試合をしていくので、例え負けたとしても次の試合が待ち構えている。つまり、負けても試合があるのだ。更に驚いたのは、リーグ戦の試合が終わった後のことだった。一通りの組み合わせの試合が行われた後に、そのコートを使ってそのまま練習試合が始まったのだ。リーグ戦が終わって、片付けをして、最後に集合して挨拶して解散!と思っていたところ行われたキックオフだった。当時の勤務校はサッカーの試合の会場校だったので、朝7時に集合しコートを書き、試合後に練習試合をやってから片付けをすると、最後の集合は18時半頃になっていた。大会だと土日両方、リーグ戦だと土曜日に試合が行われるため、中間テストと期末テストのテスト週間以外の土日はほぼ全て、何かしらの試合をしていた。リーグ戦には、どの先生が顧問になっても、練習試合をあまり組まなくても生徒が試合に参加できるようにという意味が込められている。ただ結果として僕は、土日ほぼ全てをサッカーに献げることには違いなかった。

審判として生徒と一緒に走った3年間

サッカー部で過ごしてきた3年間は、かけがえのない思い出になった。生徒らとコートの中で一緒に走ったり、それまでは大して興味がなかったサッカーも好きになった。レフェリー4級を取って、地方の大会やリーグ戦の主審をやるようになったら重宝がられた。現在でもサッカーの試合は多く予定されているのに、審判の数が足らないという審判不足問題は今も継続している。

サッカーはバスケットボールとは違って、ボールを蹴って遊んでいるところにルールが追加されていきスポーツの種目となった。これが審判をやる上で大きな壁となった。ルールブックの文言のみを頼りにジャッジすると、選手らが思っている感覚とズレることがある。例えば、ボールと相手選手の間に身体を入れてボールを奪う技術、その最中に相手選手の足が身体を入れた選手の足に引っかかり、倒れてしまった。一見、相手選手の足をわざとひっかけてボールを奪うように見えてしまうが、相手選手の進行を阻止するように見えても、ボールに対してプレーしているのでOKだ。これはファウルにはならない。それでもボールを無理矢理奪う中で相手選手が足に引っかかって倒れたのを見ると、どうしてもファウルに見えてしまう。これは流す(ファウルを取らない)べきで、笛は吹かないのが正解だ。僕はこういったケースをよく吹いてしまい、会場からブーイングを受けたことがある。3年も経てば、少しはそういったミスも減ったように思う。

現任校のサッカー経験者いすぎ問題

サッカー部の主顧問となって3年が過ぎようとしたころ、人事から言われたのが、同じグループ内での異動だった。現任校だ。サッカー部の顧問を希望したが、教員の中にサッカー部経験者が多く、人気が高い部活だった。学生時代からサッカーを経験してきた教員であっても、他の部活動の顧問にまわっている。異動前はサッカー部の顧問だった僕は、サッカー未経験であるため、優先順位は低い。今はサッカー部ではない運動部の副顧問となった。今回は主顧問ではないから、副顧問として主顧問の先生を補助することが仕事だ。大変ありがたいことに、コートで指導するのは主顧問の先生なので、平日の部活動の時間帯は、分掌の仕事をやらせてもらっている。おかげ様で校内サーバのメンテやトラブル対応にリソースが割けている。

土日がほぼ部活動に奪われたことに気づいた

ここ数年、部活はブラックだ!とか顧問はやりません!とか、Twitterで発言する教師が増えたように思う。教師の働き方改革というものを実践するなら、まず見直すべきなのは、誰がどう見ても部活動だろう。その証拠に、サッカー部の顧問から外れた人間が、今こうして土日にブログを書くことが出来ている。また、妻と過ごしたり、お互いの実家に顔を見せたり、自分のために時間を過ごすことが出来ている。「やり甲斐」という魔法の言葉で、教育的な価値を信じて、ここまで部活動顧問をやってきた。その立場から一旦離れることで、こんなにも自分の時間が確保できるのかと、驚かされた。部活動顧問を労働として考えたら、本当に割に合わないだろう。

主顧問の先生方には最大限の感謝を

しかし、だからといって、僕は部活動そのものを否定するつもりは一切無い。過去やってきたバスケ部もサッカー部も、あの経験がなかったら得られないものは多かった。

教師の中で、部活動の主顧問から外れた人がやるべきことは、今も尚、主顧問で頑張っておられる先生方への感謝だ。土日を部活動に献げることなく、身体を休めたり、他の活動に時間を使えるのは、主顧問となって尽力されている先生方が、身を粉にして働いてくれているおかげだ。その上で成り立っている時間を、有効的に使うべきだ。ましてや、部活動そのものを否定するために使うべきではない。

これまで決して空かなかった時間が空き、ブログや、他の活動に注力することが、今の自分にはできている。この土日にもグラウンドで頑張っている先生方には、最大限の感謝を。僕はこれからも、自分がやるべき活動に力を入れていきたい。