僕ね、iPadを使いこなせるようになりたいんですよ。

あぁ!やめて!「iPadに無刻印HHKBを繋いでUlyssesでブログ書いている時点で言うなや!嫌味か!」っていう目で見ないで!

この問題、僕はよくよく思うんですよ。iPadを使う時間は人よりも多いかもしれませんが、それは人よりもiPadで何か作業をしているだけで、他にも効率の良い方法があったり、便利な道具があって、そっちの方が僕のやっていることよりも良いんじゃないか。もしそういう方法があるなら、そっちの方が「使いこなしている」と言える。

そう感じるとね、僕がやっている使い方なんて、自分ではまだまだだなって思うわけですよ。

というわけで今回はまず、僕が「この人、道具を使いこなしてる!」って思える存在を紹介します。

例1:機動戦士ガンダムSEEDのキラ・ヤマト君

ガンダムSEEDに登場する主人公、キラ・ヤマト君は、遺伝子操作を受けて生まれてきた人間です。この物語の世界では遺伝子操作を受けて生まれてきた人類を「コーディネーター」と呼び、宇宙に建設されたコロニーという場所で住んでいます。

このキラ君は、世界が宇宙に住むザフトと地球連合とで別れた中で、平和を愛する中立国オーブの国民として育ち、平和のために戦っていきます。(だいぶ物語を端折りました)

物語の後半で彼が乗り、操縦していたモビルスーツが、この「フリーダム」と呼ばれるガンダムです。

機動戦士ガンダムSEED より引用

キラ君は並外れた身体能力とモビルスーツ操作技能を持っているため、このフリーダムという機体を自分の手足のように動かし、戦場を駆け巡ります。

機動戦士ガンダムSEED より引用

特徴的なのが、攻撃してくる相手のモビルスーツを破壊する際、人が乗っているコックピットを火器で狙わないことです。もう誰も殺したくない、死んでほしくないという想いを持って、戦争を終わらせる為に戦っていきます。

この想いに従って行動ができるのも、優れた技術を持ち、それを発揮できるからです。

僕はこの光景を見て、「キラ君はフリーダムを手足のように使いこなせているな」と判断しました。ほんと、羨ましい。

例2:頭文字Dの藤原拓海君

頭文字Dは、峠を猛スピードで運転する、車の暴走運転をスポーツとする物語です。(だいぶ端折りました)

日本が不景気になる前、スポーツカーが流行したその時代を設定され作品が描かれました。

藤原拓海君は、親父さんが仕事でつかっている車スプリンタートレノで豆腐の配達をするように言われ、通り道である秋名山の峠を走るようになります。

アニメ版頭文字Dより引用

毎日の豆腐の配達と、早く帰りたいという想いから、拓海君はAE86(スプリンタートレノの当時の型番、通称ハチロク)を自分の手足のように乗りこなすようになります。

アニメ版頭文字Dより引用

豆腐の配達の時には、親父さんが紙コップに水を入れ、その水をこぼさないように走るように命じられます。コッブの水が溢れるようなことがあれば、豆腐が痛むほどの荷重が車にかかるからです。

普通に運転するだけでも水がばしゃばしゃこぼれるはずなのに、拓海君は峠でドリフトする時も、コップの中の水をこぼさないように運転する技術を身につけていくのでした。

彼の手にかかれば、タイヤが滑るタイミングやスリップする事故につながるアクセルの踏み方が感覚で分かります。物語中ではタイヤが1番食い付く走り方を熟知し、レースに応用していく姿が描かれています。対戦相手からはハチロクがFRではなく4WDではないかと勘違いされるほど、速い速度でコーナーを旋回します。

自分の手足よりも遥かに重くて大きな車を、自分の手足のように扱うことができる拓海君のスキルは大変素晴らしく、ハチロクを「乗りこなしている」と判断できます。

くそう、羨ましいぞ。

この2人の例を見ると、やっぱり使いこなすっていうのは、こういうレベルだよなぁって、僕は思っていた時期がありました。

しかし、次に書くウルトラマンの歌の歌詞を見て、少し考えを改めるのでした。

ウルトラマンの歌から見る安心感

ウルトラマンの歌の中に、こんな部分があります。

手にしたガンが ビュビュンとうなる

怪獣退治の 専門家

これは、ウルトラマン自体ではなく、地球の平和を守る人間の部隊、科学特捜隊について歌われていると推測できます。

科学特捜隊は、劇中は怪獣に武器を持って立ち向かっていきますが、最後のところで光の巨人であるウルトラマンが登場し、怪獣を代わりに退治してくれました。

物語終盤では、隊員の1人が「ウルトラマンさえ地球にいてくれば、科学特捜隊は必要ないんじゃないか」と愚痴を漏らす有名なシーンがあります。その後の最終回では科学特捜隊の新兵器が怪獣を倒す場面が登場するので、最終的には「人間の手で地球の平和を守るんだ」という話で終わります。しかし、彼が思った疑問もごもっともな話だと、僕は思っていたのです。

しかし、上記歌詞では「怪獣退治の専門家」と歌っています。ウルトラマンにおいしいところを持っていかれたとしても、最終的には助けられたとしても、科学特捜隊が怪獣退治の専門家であることには変わりは無かったのです。

完璧を求めると、自分を認めることができない

このことから、僕自身が、自分よりもっと完璧な存在というものがあって、それを目指している。それでいて、まだ自分はその段階には達していない。と思っていることがわかってきました。

今もなお、「この段階で専門家って言って良いのかなぁ、ウルトラマンみたいにすごい人は、もっとたくさんいるのになぁ」って正直思います。

でもね、認めてくれる方がいらっしゃるんだって思うと、僕自身もう、ある程度のレベルに達しているって、思っていいのかなって、最近そう思えてきたんですよ。

なかなか自分だけでは気づかないところがある。それは他の人から声をかけていただくことで、納得することができる。

本当に、このようにコメントを頂くことができて、嬉しかったです。ありがとうございました。